さまざまな家族の形を綴った「木陰の物語」を読み
「私の場合はこう、私はこう思う」と感じたことを書き込んでください。
この場が家族を学ぶきっかけになれることを願っています。
子どもたちの小学校まで遠かったので、雨が降るとヤキモキした。ランドセルが歩いているくらい体が小さく、傘をさして長く歩くのは心配だった。合羽を着て歩く子も多かった。つい車で送ったり、迎えに行ってしまったりした。いつも複数で登下校していたから全員の家に連絡したりして面倒だった。
幼稚園から一緒のママ友と話していて「雨も大丈夫」と言われて、あー、そうかとはっとしたのを覚えている。雨に濡れるだけ、寒ければちょっと風邪をひくだけ。
手を出すのは、私の弱さだったなと思う。
知人のカウンセラーから聞いた話だ。
あるクライエントの母から相談を受けた。長期に引きこもっている息子に、裁判員候補者選任の通知が来たという。なるほど確率的にはあり得ることだが、私は今まで考えたことがなかった。
司法制度に関わることなので、辞退するにはそれなりの正当な理由が必要だ。「ちょっと、その気になれない」では通らない。母親はどうしたものかと悩んでいるという。
この話を私はこう思った。
裁判所は彼を一人前の成人として対応してきた。仕事をしていなくても、納税者でなくても選挙権があるのと同じだ。ならば彼も、辞退するにしても、一人の日本国民として規則にのっとって対応すべきだ。
学校卒業以来久しく、公的な機関からの関与など途絶えていた若者に、国が指示を出してきている。
「これには筋道の通った対応をしなければならない。社会に生きているとはそういうことだ」と親がひきこもりの息子に働きかけるには、格好の材料ではないか。
召集令状が来るわけではない国と時代に生まれた幸運も踏まえ、一社会人として、彼自身に対応させることを勧める。
=====
団士郎さんの「木陰の物語」の物語・コメント抜粋です。