さまざまな家族の形を綴った「木陰の物語」を読み
「私の場合はこう、私はこう思う」と感じたことを書き込んでください。
この場が家族を学ぶきっかけになれることを願っています。

最後の晩餐

『家族の練習問題 8 ~木陰の物語~ “もう一人のワタシ”』 に収録(P149〜) 購入はこちら

*会員限定オンライントーク「“木陰の物語”の物語vol.5」での取り上げ作品です

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6 件のコメント

  1.      
    匿名 さん  

    しみじみしました。私の父親が最近亡くなりました。父親に会いに地元に帰ったのに面倒になって、「また次の機会に」と会わずに帰ってしまい、その2日後に亡くなったと知らせが届きました。
    何とも私と父親の関係らしいお終いの仕方でした。

    団先生のいうとおり、人は必ず死ぬ、とは思っていましたが、親は死ぬんだという実感を持つようになりました。
    私も最後の晩餐の献立が気になりました。
    団先生のお母さんの最後の晩餐を息子が食べる、ということにもしみじみしました。

  2.      
    匿名 さん  

    団先生が、「今日だったんだ」と思われたというお話を聞いて、
    「あ、そう思っても良いんだ。良かった」と思いました。

    実父が亡くなると分かった時、私は「そうなんだ」と思ったのですが、そのことを、「他人に言ったら冷たい娘だと言われるだろう」と、後ろめたく思っていました。
    普段、仕事柄、人より多く死に触れているからの反応だとわかっていても。
    ちょっと心の引っ掛かりだったみたいで、今日のお話で昇華された気がします。
    ありがとうございます。

    今、生きている母との時間も、限りあると思って、楽しんでいます。
    同じく、自分の時間も限りあり、子らとの時間も、機会毎に、伝えるべきは伝え、楽しもうと思っています。

  3.      
    匿名 さん  

    昨年9月実家の母が天寿を全うし(87歳)、天にかえって行きました。
    団先生がおっしゃっていたことと全く同じことを思い、そのように過ごせました。

    80歳を過ぎまだ元気な時には、1か月に一緒に一度お芝居を観に行き、認知症状が出てきたころには一週間に一度、仕事前に実家に母を訪ね5時間ほど一緒に過ごし、グループホームに入ってからは、たくさんの方に囲まれ楽しく過ごしていたので(コロナもあり)時々訪ね、死期が近づいた1か月前は度々訪ねることができ(全く仕事が入ってなくてこれも母が段取りしてくれたように思っています)、点滴を外した最期の10日間は、毎日施設で母と数時間を過ごし、「また明日来るね」と笑顔で別れていました。そして中秋の名月の夜、かぐや姫のごとく天へと帰って行きました。
    団先生と同じように「今日を選んだんやな」と思いました。わたしの父は自死、長男を生後2日で亡くし、弟は病死しているので、自分自身、また祖母や母の悲しみも見てきたし「順番」という言葉、お話全てにとても共感しました。

  4.      
    よしゆみ さん  

    「人はいつか死ぬ」ことは当然のことでも、日常ではあまり意識していないし、意識していないばかりか忘れていることの方が多いかもしれないなと思いました。だから、誰かの訃報に触れるたびに突然の出来事のように感じてしまうのかもしれません。

     ただ、年を重ねるごとに、今のうちに会っておかないと!と思う気持ちも強くなってきていて、それは「死」を意識しているからだとも思います。団先生の家族理解の講座も毎回参加させていただいていますが、これもその一環かな…と。

     オンライントークでお母さんの作った夕飯メニューの話がありましたが、あとから私と父との最後の晩餐は何だったんだろう?とふと思いました。まだ小学生の頃に父を亡くし、父が亡くなるなんて考えたこともないころのことだったので、正直覚えておらず、それが残念だなぁと。それ以外の思い出もあるのですが、「覚えていない」ことに気づいて少し寂しくなりました。まだ母は健在なので、いつその日が来ても「今日だったんだなぁ」と思えるようにしておきたいなと思います。

  5.      
    なおちゃん さん  

    私も毎日ご飯を作りますが、今日のメニューが私自身の、若しくは家族の誰かの最後の晩餐になることもあるかも…と思うと大事に作りたいなぁと思いました。

  6.      
    やまさき さん   自営業 40代

    「ああ、今日だったんだ…と思った」という一文がとてもリアルに感じました。

    想定外のことではなく、人は死ぬもの。
    そのことを頭の片隅に置きながら、自分の日々の振る舞い、人との関わり方をしていきたいなと改めて感じました。