さまざまな家族の形を綴った「木陰の物語」を読み
「私の場合はこう、私はこう思う」と感じたことを書き込んでください。
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『家族の練習問題 1 ~木陰の物語~』 に収録(P102〜) 購入はこちら

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2 件のコメント

  1.      
    団士郎さん さん  

     あなたの帰る場所はどこですか? そう尋ねられて、ためらいなく答えられる場所を持っている人は幸せだ。
     家庭を思い浮かべる人、故郷を思い出す人、長い付き合いの人間関係を思う人などさまざまだろう。そして、そういうものを持てなかった自分を思う人もある。
     両親が居て、同胞も居る。煩わしいことも多いが、それが一家だと思って育つ。やがてそれぞれ独立し、結婚する同胞もあったが、自分が気楽な一人暮らし。やがて両親は亡くなり、家庭を営む同胞との行き来も途絶え孤立する。
     個人を主張し、プライバシー尊重を喧伝した社会が、赤の他人ばかりになってしまった寂しさにふるえだしている。人生の終盤に頼りになるのはお金だと思った人が、詐欺にあったりしている。そして働く場さえ満足に用意してもらえない若者世代は、孤独と貧困不安に泣いている。
     昨今、居場所づくりなど、いぶかしげな援助的言葉が巷に飛び交う。そもそも居場所は「場」と「人」の重なったもので、自分も関与しながら時間をかけて築いてゆくものだ。労を惜しんでおいて、心地よい場だけを求めるのは無理な話だ。

    =====
    団士郎さんの「木陰の物語」の物語・コメント抜粋です。

  2.      
    ポット さん   40代

    古い町で民宿件シェアハウスで暮らす娘から、古いお隣さんである向こう三軒両隣は同じ夕飯のメニューになるという話を聞いた。食べきれないくらいたくさん作って、「食べきれないから食べよし」と届けにくると言う。今の時代にそんな時間を過ごせているとは、ありがたいと思うとともに、自分を顧みて今ここで何ができるか考えてしまう。